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DE101666が北長野入換えに

130828今週月曜日に篠ノ井入りしたDE101666(新)は本日、北長野の入換えに使用されていました。
仕事を抜け出し、10時半ごろ行った時は何の素振りもありませんでしたが、その内、DE10のエンジンが掛かり、11時前にようやく動きだしました。
入換は側線上のコキ104、1両を荷役線上の編成に連結してお終い。DE10はそのまま北長野駅の着発線に行ってしまいました。
たぶん昼前には篠ノ井派出に単行で帰るのでしょう。
なお、DE101666の区名札は「新」のままでしたので、篠ノ井転属ではなく、借入れだと思われます。
北長野貨物駅付近の側道は線路上より低く、また草も生えているので、写真は撮りづらい感じですが、長野総セの洗浄線には湘南色と長野色の211系3連3編成が留置されているのが見えます。

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DE101666(新)が篠ノ井へ

130826_2本日の5463レはEH200-18がDE101666を1両のみ牽引して、そのまま篠ノ井(派)に入庫しました。見た限り、無動票は入っていませんでした。区名札は「新」のまま。
篠ノ井(派)のDE1013509がそろそろ入場しそうなので(22-8大宮車)この入場中の代替と思われます。
今までは貨物列車に紛れて回送されていましたが、今回はEH200-18がわざわざ新鶴見まで迎えに行ったという感じでした。
DE101666は今から7年程前に篠ノ井区のDE101526の代替応援として来ていたことがありましたが、すぐに東新潟区のDE101592に交替してしまいました。当時のDE101666はまだ原色でしたが、5年ほど前に更新されています。また、全車寒冷地仕様の篠ノ井区においては唯一の暖地仕様車となります。なお、他の篠ノ井DE10と向きが逆です。
朝方の篠ノ井(派)にはEF64重連にDE10が付いていたので、篠ノ井で検査を受けていたDE101673が本日の8560レで回送され、そして、南松本からDE101592が帰ってきて、しばらくはDE101666と交代で北長野貨物に使用されることでしょう。

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長野電鉄モハ604の台車

信濃川田駅跡に保管中のモハ604は台車を何回か履き替えています。
130818_2製造当初の台車は川崎BW-Aタイプとのことですが、当時の国産台車はアメリカメーカーのデッドコピー品が数多く作られたようです。BW-A形はイコライザが弓型と凹形や釣り合いバネの形態が違うのも同形式に存在しています。別形式にしないのは形式がある程度の性能を現わしているからなのでしょうか。
川崎製の台車は贔屓した事業者ある半面、華奢な感じであったとも言われています。
実際、長野電鉄でも状態が悪かったのか、近鉄名古屋線改軌までモ6311形、6331形が履いていた帝車UD-26または日車D-16に換えられていますが、この両台車の差は全く分かりません。さらに帝車UD-26に至っては昔の文献(鉄道ピクトリアル連載 台車のすべて 吉雄永春著)によるとUD-16となっていて、当時の台車の多くが心皿荷重を形式に現わしていることから、こちらの方が当たっているのかも。形式のUは帝車の前身梅鉢車両からとったものでしょう。形態はイコライザが凹形の物です。
上田交通に行ってからモハ612→モハ5271はそのままでしたが、モハ604→クハ271はそれまでの台車をモハ5372に譲り、新たに川崎製東急3450形の台車に換えられました。コロ軸化されていたので、クハにはちょうどよかったのでしょう。ただ、試運転の際、トラス棒に台車が当たることが判明。トラス棒の移設が行われています(写真参照)。全鋼製の車体に果たしてトラス棒が必要なのかとも思いますが、原設計は変えられないのでしょう。
したがって、現在保管中のモハ604はこの台車を履いていますが、結果的に製造当初と同じような形態の台車になりました。
この東急3450形と言う台車は富士急に保存されているモ1にも日車製が使われていますが、形態はイコライザが凹形のもので、モ1が履いていた日車製Dタイプとの違いは分かりません。輪軸は元車である上田交通モハ4257のを流用しているので、平軸受けです。上田原に輪軸をとられたブリル台車が放ってありました。
長電モハ604もどうせ保存するなら平軸に換えてほしい気もします。昔はあちこちに転がってたものでしたが…。

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本日の篠ノ井線

本日は諏訪湖花火大会のため、近隣の線区で通常とは違う列車が走りまわっていました。
そこで、主に午後からですが、篠ノ井線に張り付いてみました。
130815_2115系6連と211系6連が多く見られました。
115系は回送も含めて
←松本
N8+N2
N22+N14
N32+N3
N5+N1
C5
6連貫通のC5編成は撮り逃がしてしまいました。一番のお目当てだったのに…
211系はすべて回送でした。
N336+N333
N339+N334
N301+N331
あとはE127系4連やNODOKAも見られました。
E233系や特急形が応援に来ている方面に同業者が行くと思っていましたが、篠ノ井沿線もそれなりに人出がありました。

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信濃川田駅跡の留置車両の歴史-ED502-

ED502は信濃川田に保管車両の内、唯一の機関車です。
ED500形は'27~28年に3両が日立製作所で造られています。現在、日立では機関車は造っていないようです。
形態はデッキ無しの箱型で、この頃日立で造られた同形電機の中では軽い方です。面白いのはパンタグラフ。前後違うのが付いていますが、これは日立製のパンタが押し上げ不足だったらしく、片方を電車と同じWH製の大きなパンタに取り替えたのだとか…。
戦後の規約改定でED5000形となり、貨物列車や国鉄からの乗り入れ列車の牽引に活躍していました。
'70年、定山渓鉄道よりED5100形2両を譲り受けた際、ED5002、5003が越後交通に譲渡され、ED510形511、512となりました。
その後、'79年、長野電鉄の貨物営業廃止に伴い、元定山渓のED5100形2両は再び越後交通に譲渡されました。そして、その際、越後交通で余剰となったED511が長野電鉄に里帰りしたのです。この時、河東線沿線を回送される同車を撮るべく、沿線に行きましたが、間一髪間に合いませんでした。
130811長電に戻り、番号は製造当初のED502となって、モハニ201と共に須坂で保存されていましたが、'90年、小布施のながでん電車の広場に移動して展示されていました。
ここが安住の地と思われていましたが、屋代線廃止直前に突然、信濃川田駅に移動して、現在に至っています。
長野電鉄にはもう一両生え抜きのED5001が残っていて、'02年廃車となっています。現車は須坂に留置中ですので、3両の内、2両が現存していることになります。

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ロクヨン全ライト点灯

クソ暑い本日、出掛けたついでに篠ノ井派に寄ってみました。
130809_2構内はEH200-14、DE101592が見えるだけ。仕業検庫には原色ロクヨンが見えました。
良く見るとすべてのライトが点いていました。中でもジャンパ栓受け上に斜めに付けられた作業灯は上越線運行当時に水上で夜間の補機連結があり、連結面を照らすために付けられた物のようです。新製時、付けられていなかった1次車も追加改造されていますが、現在でも必要なのでしょうか。

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信濃川田駅跡の留置車両の歴史-モハ604-

長野電鉄屋代線廃止直前に小布施の電車広場から信濃川田駅に運ばれた旧型車両はとりあえずシートが被せられて一安心と言ったところです。これらの車両は私自身、歴史的価値があると思われますので、一応、これらの車両の歴史を調べてみることにします。
1308041まずは駅舎寄りのモハ604から。
昭和2年川崎造船所製の屋根の深い全鋼製車両。窓枠も鉄製でしたので、窓を閉める時(上げる時)は結構重かった様に記憶しています。新製当時の番号はデハ351~4。
性能は他と同じ75KWのWH製電動機でしたが、制御はHLではなくHBで、勾配抑速の電気ブレーキを付けていました。山の内線運用を前提としたものでしょうが、その後、ブレーキ冷却用の水タンクを付けた車両もあったことから電制は使いにくかったのでしょうか。
戦後、形式規約改定に伴い、モハ600形になりました。が、内、2両は踏切事故修復の際(601→611'66年、602→612'71年)運転室の拡張等でモハ610形に変更されました。
130804編成はモハ610形がモハニ530形と組み、モハ603+604は主に山の内線用に使われていたようですが、晩年は611+603、612+604と組んでいました。
その後、長野線一部地下化後の'80年、廃車になりましたが、モハ604、611、612は上田交通に譲渡されました。
上田では612が'81年モハ5271となり、当初、611を方転して2連を組みたかったようです。結局、611は長電色のまま上田原に留置され、上田では走りませんでした。その一方、604は'83年クハ271になりましたが、'86年昇圧により全車廃車。クハ271のみ長野電鉄に里帰りをして小布施で保存されていたものです。車体は製造当初のマルーンに塗られ、表記はモハ604になっていますが、室内表記はクハ271のままでした。どうせなら製造当初のデハ354にと思いますが、なぜしなかったのでしょう?
上田時代の番号は二代目で初代の車体も元東急の川造製タイプ。丸子線廃止後も小諸市内で車体のみ残っていて、今年初め、訪れた時は存在を確認しています。
なお、モハ604の台車はかなり変遷がありますが、これらは別の機会に。

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長野びんずる号に115系6連

長野市では本日、長野びんずる祭りが行われています。夜は市街地で多数の連が参加して踊りが繰り広げられます。その昔、踊りに参加したことがありましたが、それほど出たくも無く、何かしらの理由を付けてサボっていました。
本日はそれに合わせて、臨時列車が出ています。
時刻表では夕方の1本だけでしたが、しなの鉄道からや、篠ノ井-長野間に臨時列車が増えました。
車両は何が使われるのだろう?
211系か?もしかして6連?いや、E127系のブツロクか?115系貫通6連もあるな。と言うわけで近隣の犀川鉄橋へ。
130803で、来たのは115系3連×2。な~んだつまらない。とはいえ、今は貴重になりつつあるのかもしれません。この場所、思ったより草木が生い茂っていて6連は入りきれませんでした。
上りは回送扱いで、見た編成は長ナノ115系N30+N21でした。

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