信濃川田駅跡に保管中のモハ604は台車を何回か履き替えています。
製造当初の台車は川崎BW-Aタイプとのことですが、当時の国産台車はアメリカメーカーのデッドコピー品が数多く作られたようです。BW-A形はイコライザが弓型と凹形や釣り合いバネの形態が違うのも同形式に存在しています。別形式にしないのは形式がある程度の性能を現わしているからなのでしょうか。
川崎製の台車は贔屓した事業者ある半面、華奢な感じであったとも言われています。
実際、長野電鉄でも状態が悪かったのか、近鉄名古屋線改軌までモ6311形、6331形が履いていた帝車UD-26または日車D-16に換えられていますが、この両台車の差は全く分かりません。さらに帝車UD-26に至っては昔の文献(鉄道ピクトリアル連載 台車のすべて 吉雄永春著)によるとUD-16となっていて、当時の台車の多くが心皿荷重を形式に現わしていることから、こちらの方が当たっているのかも。形式のUは帝車の前身梅鉢車両からとったものでしょう。形態はイコライザが凹形の物です。
上田交通に行ってからモハ612→モハ5271はそのままでしたが、モハ604→クハ271はそれまでの台車をモハ5372に譲り、新たに川崎製東急3450形の台車に換えられました。コロ軸化されていたので、クハにはちょうどよかったのでしょう。ただ、試運転の際、トラス棒に台車が当たることが判明。トラス棒の移設が行われています(写真参照)。全鋼製の車体に果たしてトラス棒が必要なのかとも思いますが、原設計は変えられないのでしょう。
したがって、現在保管中のモハ604はこの台車を履いていますが、結果的に製造当初と同じような形態の台車になりました。
この東急3450形と言う台車は富士急に保存されているモ1にも日車製が使われていますが、形態はイコライザが凹形のもので、モ1が履いていた日車製Dタイプとの違いは分かりません。輪軸は元車である上田交通モハ4257のを流用しているので、平軸受けです。上田原に輪軸をとられたブリル台車が放ってありました。
長電モハ604もどうせ保存するなら平軸に換えてほしい気もします。昔はあちこちに転がってたものでしたが…。
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